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映画の話

うーん、どうもこの忍者のエディタの使い方 あいかわらずよくわかんないです…
こういうのって製作者と自分の感覚のずれがあるとどうしても 使い勝手がわるいですよね。
まさにそれが相性ってやつなんでしょうけど。
そういえば今日は荒野の七人をwowowでやってました。
カラオケいくのもやめてみちゃいました。 で、思い出したのが映画のウエストワールドです。
どんな映画だったけ…と思ってみたブログ がこれ。

http://blog.goo.ne.jp/matashaburo/e/96c6843f7a12ceaf28c6c3ae4b39a580

あぁそうか今みたらだめなのね。 カラオケでマイク!

ところでここからはフーバー長官の話を唐突に
FBI初代長官のJ・エドガー・フーバーは謎の多い人物だ。  
たとえば「女装趣味のゲイ」と後世一部でののしられ、映画の重要な部分をしめる同性愛である。
これにはハッキリとした事実はない。  
かと思えばケネス・アーノルド事件、最初のUFO目撃事件に調査チームを編成。
ごくごく真面目に原因究明に乗り出したりもした。
 ただしフーバーは肩書きの通り、州と州をまたぎ連邦犯罪を捜査するFBIを創設した。
 現在当たり前になった近代科学捜査の礎(いしずえ)を作り上げ
、アメリカの図書館における分類・整理の方法を整備したのも彼である。  
『J・エドガー』は、そのフーバーが48年間、彼が君臨し続け、
執務(しつむ)をつとめた部屋で、回想録を口述タイプさせる場面から始まる。
 映画の画(え)作りはいつものイーストウッドらしい。  シックでドライ。
落ち着いた色合いの画面。上品で静謐な雰囲気の中でフーバーが
最初の事件(司法長官自宅爆破事件)の現場へ到着。証拠品となる品々を拾い集める。
 以後、フーバーは過激派対策係、共産主義者の打倒など、要職を積み重ね
、FBIの長官へと昇りつめる。  映画が描くフーバーのキャリアはそれはそれは興味深いはずだ
。彼の相手は、いわば、時代と共に移り変るアメリカのパブリックエナミー
(社会的の敵)そのものだからだ。  「過激派」「共産主義者」「ギャング」「ソビエトの脅威」。
最終的にフーバーは政治家や権力者の秘密を握る「フーバー・ファイル」を作成する。
それは「アメリカの敵は外側ではなく内側にいるようになった」という暗示なのかもしれない。
フーバーのキャリアはたしかに華々しい。しかしイーストウッドはそれを賛美しない。
 共産党員の手入れにおいてフーバーはまったく無辜(むこ)の市民を逮捕したかもしれない。
 リンドバーグ愛児誘拐事件の犯人とされるハウプトマンが冤罪だった可能もしめす。
 フーバーのキャリアはとにかくグレーゾーンの部分がちらつく。
彼の長年のパートナー、トルソンでさえ、フーバーの口述に虚飾を口にするのだ。
 そのトルソンだけが知るようにフーバーは完璧な人間ではない。
強さと弱さと奇妙な点を合せ持つ複雑な人物だ。  映画はフーバーを同性愛者と描く。
トルソンと恋愛関係にあって、トルソンもフーバーを愛す。世間体もあったのだろう。
フーバーはトルソンに結婚についての意見をもとめる。  トルソンは怒り逆上する。
逆上し出て行くトルソンをフーバーが押し倒しキスをする。
そのやりとりは、たしかに男と男のものなのだが、まったく下品ではない。
恋愛そのものである。2人の関係は最後まで老夫婦のように続いていく。
その一種、倒錯的愛を演じ切るディカプリオとハーマーが見事だ。  
そしてフーバーにとっての母親アニーの存在だ。ジュディ・リンチがつとめたアニー
は厳格で息子の将来を嘱望していた。 イーストウッドはアニーの存在が
フーバーの女性への苦手意識と完璧主義の原因だとする。  
フーバーにとって身近な女性とはアニーであり、愛を注ぐ女性もアニーだった。
そのアニーが死に、フーバーは母親の衣服を身にまとう。同性愛と同じ、
表面的には倒錯的な行動。しかし根底にあるのは亡き母への愛との同化だ
。せつないシーンでもある。  おしむらくは、そのフーバーの生涯と、
複雑な人間性の部分に一体感がないことだ。  口述による過去の回想で、
物語を1つ1つ区切る方法が(過去に行き、ふたたび時代が現代へ巻き戻る)、
物語全体を散漫なものにしてしまう。  一つの大きな流れにならない。
個々がすばらしいだけに。
なじまないのだ。それでどっちつかずな印象をうける。  
フーバーの業績か? 人間性か?
 どちらかにウェイトを寄せ、とぎれないよう物語をを構成してほしかった。
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